AD 70年代後半 秋
10月で思い出したんだけど、文化祭で、今ここでしか展示できないものとして、「教室の教室のための教室」と題して、教室そのものを展示。授業中の空気とか、隣の席との境を有刺鉄線で囲ったり、展示物を並べたものでした。最初の年の目玉は、一人一人の机に録音機(当時はラジカセ)を置き、授業(国語)を録音したものを一斉に再生する「見えない授業」遠くだと雑音に聞こえるのだけど、間を通ってみると、個々の話し声とか聞こえたり、なかなか楽しい趣向でした。おもしろかったので、翌年は文化祭の最中に、先生と仲間を拝み倒して本当の授業を1時間「演劇」として上演。バッカじゃないのと好評でしたが、よりおもしろかったのは演じている方。普段の普通の自分を演じているわけで、自分でありながら自分でない、現実であって現実でないような、不思議な違和感に襲われたのです。現実感って案外もろいものだなという思いは、モノ作りの源になっているのだった。
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D 1984 春先
二見書房がゲームブックを出すことになり、ちょっとした成り行きで手伝うことになる。「タイムマシーン・シリーズ」という、一連のタイムトラベルもので、ゲーム的には物語が分岐する程度。歴史のお勉強ができてしまうという子供向けの品。遊び方の部分を袋とじにして、開けることで特殊任務につく雰囲気を出すアイデアを提案したり、1作目恐竜探険で、小さな恐竜のカットを描いたりした。考えてみればあれが挿絵1号だなあ。「タイムマシーン・シリーズ」は4冊出版され、3冊目の海賊モノだけ関わっていない(二見のゲームブックで唯一関わっていない品)。編集部のみで作ってみたが、やはりゲーム的要素とか、変なアイデア出す若いのがいたほうがいいということになり、本格的にゲームブックに関わることになった。ここでハイサヨナラされていたら、HUGO HALLは誕生していなかっただろうね。
AD 1985 春先
二見書房よりJ.H.ブレナン氏のおふざけゲームブック「ドラゴン・ファンタジー(Grailquest)」シリーズの1巻目「暗黒城の魔術師(Castle
of Darkness)」刊行に際し、原作の挿し絵がアレで、これにも版権料を支払う(文章と挿し絵は別々に版権料が派生する)のは何だなあという、担当編集者の何となくの判断ににより、偶然近く(机の向こう)に居合わせた人物が、鉛筆画なら描けますよというので、じゃあやらしてみるかねえと、そいつが挿し絵を担当することになり、成り行きでHUGO
HALLが誕生する。
HUGO HALL本人は、それまで絵師になるつもりなど毛頭なく、まさか8巻に渡って描くことになり(最初、原作は3巻まででその後追加されていった)、自作やら何やら手がけるようになろうとは思いもよらなんだ。
ちなみに、なぜガイジン名になったかというと、海外の本の挿し絵を、わけのわからん日本人がてがけていると、それだけで興ざめな部分があるから、わけのわからんガイジン名にしようという、ある種の雰囲気出しでそうなることになったのだった。
AD 1985 年末
折しも、海外からグーニーズなる映画が年末の目玉のひとつとして上映されることがわかり、ゲームブックにおあつらえ向きかもと、編集者が判断。映画のコンテがとてもよく描きこまれていたので、コンテの使用権と書籍におけるゲーム化の権利を取り(契約料を抑えるため)、オリジナルのゲーム作りに入る。
当初は、ゲームに精通した某氏と二人で作る予定だったが、某氏が、冒頭イントロの一部と後半の帆船部分を少し手がけたところで突然脱落、しかたなくHUGOひとりで、残りをでっちあげる。作者名もこれまた、ガイジン名のほうがアッチの雰囲気が出るからと、製作にたずさわった二人の名前をテキトーに混ぜ合わせた。かくして完成した「グーニーズ
アドベンチャー・ゲームブック」は、映画の評判がよったこともあり、10万部以上売り上げてくれたのであった。
これが、実質上のゲームブックというか本の処女作となる。制作中、まだ海外から映画が届かなくて、断片的な図版資料と、荒訳していただいたシナリオだけを手がかりに、ひいひい作りこんでいったのもいい思い出、ではないけれど、20代中頃の昔昔の思い出である。後半やっと試写会で観ることができ、シナリオからのズレをあわてて直したりなんてこともあったなあしみじみ。
記憶が確かなら、この年の年末には「シャーロック・ホームズ10の怪事件」の製作にも関わった。もともと、この作品を持ち込んだのが自分だったんだから仕方ない。ことの始まりは、84年の秋頃、何かおもしろそうなゲームブックない? と訊かれて、英語に達者な友人をこの原本(というかゲーム)を持っていて、遊んでみたいのだけどさすがにボリュームがあるから、どこかで訳してくれたりしたらいいのにね、とか話していたのを思い出したことにある。オリジナルは、ボックスに入って、ボードゲームとして販売されていたが、最初見せてもらった時から本としか思えない造りだった。そこでダメ元で、こんなんあるんですけどと、編集者(後の23ゲームブック班親方)に提案してみたところ、あれよあれよと出版が決まり、ゲーム監修やら編集の下働きやら、あれやらこれやら込みで手伝うことになったのであった。大変ではあったけどオモロかったのだった。ちなみにコレは、ビクトリア朝のロンドンをホームズ先生とさまよう過程・臨場感が何よりの味で、いわゆるゲームブックマニアとは違う一般層に評判がいい。ゲーム的趣向だけが遊びの善し悪しを判断する物差しではないものね。
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AD 1987 夏
23書房は、あやしいゲームブックのみならず、あやしいしいオカルト本を多く手がける出版社としても知られていた。そんなオカルト本の1冊のイラストを頼まれる。章立てした文章の扉ごとに1ページものの挿し絵を5枚。夢時間風のやつでけっこう楽しく描いたものだった。その本は川尻徹著「ノストラダムス暗号書の謎」といい、後年、至高のトンデモ本としてもてはやされることになろうとは、思わなんだのだった。ちなみにこの本、担当編集者さんも笑いながら作っていたものだった。
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AD 1989 春
「魔城の迷宮」を刊行。タクラマカン砂漠にある迷路職人の町の物語。約500ページの手書き立体迷路に仕掛けをほどこした宝の地図、文章が織りなす、迷うことを楽しむために作られたアホ本。共著の体裁をとっているが、相方は制作中に実質頓挫。フーゴが9割以上のパートを仕上げることになって死にそうになったのも懐かしい話じゃて。
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AD 1992 年末
「羊を数えて眠る本」なる本を、編集者+イラストレーター(「魔城の迷宮」とは無関係のヒト)+HUGOの連名でブライアン・ログウッド名義で出版。基本的にイラストのみの本で、牧場をぶらつく無数の羊をひたすら数えるというもの。眠たくなって途中で眠れたら成功。読み切ってはいけない本である。朝から夜にゆっくり風景が変わっていき、夜になると暗くなって少し数えにくくなったり、簡単かつ細かい工夫がほどこされている。HUGOは全体の内容と仕掛けを担当。なぜかあちらで評判がよくて(見ればわかるものね)、ドイツ語版と韓国版も出版。韓国版では、あちらの精神専門医による大真面目な推薦文も付いてしまい、冗談でーすと言えない空気になってしまった。
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AD 1993 春〜冬
クレヨンしんちゃんがブレイクする直前、出版元の双葉社よりカードゲーム「クレヨンしんちゃんのあっかん・ベーワン」を手がける(奥谷某名義)。もしもしんちゃんが、うちにあったトランプをいじくってあたらしい遊びを作ったとしたら? という設定の元、七並べやページワンなどをもじった6種類のトランプ風ゲームが、おばかテイストでプレイできるようになっている。
けっこう評判がよくて続けてカードゲーム第2弾「クレヨンしんちゃんの はい!ポーズ」も制作。
こちらはルールは大貧民で、1から10までのカードがあり、10は十枚、9は九枚……1は一枚と、数字と枚数が一致しているのがミソ。行き詰まった時はカードに書かれた、おばかなペナルティーを行わなければならない。今遊んでもけっこうおもしろいはず。これには数年後、ペナルティー以外、まったく同じ仕様のカードゲームが大阪のメーカーから東急ハンズ辺りにこっそり出回るおまけもついた。声かけてくれたら一緒にもっとおもしろく仕上げたのにねえ。
AD 1994
双葉社より「電子ルーレットゲーム絵本スーパーマリオ」を手がける(作者名なし)。文字通り、電子ルーレット付きの絵本で、見開き単位で、マリオのゲームのステージを模した双六仕立てのゲームになっている。子供用であったものの、この仕掛け、オトナ向きに作り込んでもオモシロイものができたのになあ。
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・ クレヨンしんちゃんのカードゲームが好評で、勢いにまかせてスーパーマリオカートのカードゲームを依頼される。トランプの「うすのろまぬけ」をベースに(子供が理解しやすいように意図的に既存のゲームを取り入れた)、カードの組み合わせで5種類のコースを設定、レースの疾走感をコマの取り合いに転化させたもので、けっこうオモシロであった。スーパーマリオカートに基づいて、「小型化」のルール(両手を脇に引き縮こまってプレイする)は現場のテストプレイでは好評だったが、身体に障害のある方が不快感を持たれるかもしれないかれと却下。さすがマス・セールスの世界の気配りはちゃいますねえと感心したり、新幹線乗って日帰りで京都のニンテンドーに行き、変な汗をかきながらゲームを説明したのもいい思い出である。
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AD 1995
エニックスより「魔方陣グルグル」のカードゲームを発売。ランダムに重ねたカードをめくっていく新趣向が楽しく、このシステムを作り込んで新作に仕上げてみたいものなんですけどね。
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AD 1996〜?
シャーロックホームズ10の怪事件でアジをしめた23ゲームブック班(班長1名隊員1名)は、日本版を作ろうということになる。怪人二十面相でお馴染みの少年探偵団になり、戦前の東京を舞台に怪事件を解いて回るという趣向。権利問題も一応承諾を得ることができて、プロットも数本仕上げ、資料集めなどにも回ったが、ええとどうなったんだっけな。
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AD 1999 秋
コンビニ向けの文庫本シリーズのひとつとして、パズル本を作れと言われ、はーいと「マジカル3Dパズル―奇想天外150問」というヘンテコなパズル本を作る。いろんな意味でひねりが入りすぎて売れず仕舞。だいたい文庫本で150問って多すぎるし。この2年後、「ナンプレ4989(しくはっく)」なる本も作ったがこれまたトホホに終わる。ま、そーいうこともあるさの暗黒史である。
AD 2000 ぐらいだったような
ナムコナンジャタウンのアトラクション「ナンジャQ」をこっそり手がける。手帳になっているもので、記されたクイズを解きながらナンジャタウンを回るというもの。制作のため、無料入場券の束をもらい、ゲップが出るほどパーク内をさまよったものだった。
企画屋さんの仕事で、某いまいちマイナー大学の学生募集用折り合わせパズルを作る。マス目に大学生活がポイント月であれこれ描かれていて、最高ポイントの組み合わせを折り合わせるというもの。評判がよかったようで翌年も似たようなのを作る。
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AD 2002
なんとなく馴染みになった吉祥寺のセレクトショップLIGHT BULBでオリジナルデザインのTシャツを作ろうということになり数点製作販売。これが14Tシャツにつながっていくとは。
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AD 2002 12月
つれあいが、イタズラで何気に奥谷某の名前を検索したところ、何やらずらずら出てくるわ出てくるわ。当の本人もあきれ驚き、久しぶりにHUGO某って名前とかも思い出して、とりあえず騒ぎの中心になっているらしいサイトに出頭。何となく現在に至ることになる。
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AD 2004 春
その場に行って見比べなければ解けない、間違い探し写真絵はがきを試作、青山の万年筆専門店書斎館よりなぜか発売。
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AD 2004 夏
間違い探し写真絵はがきをが縁となり、散歩の達人誌巻頭で、まゆつば写真パズル連載開始。3年にわたり街のウソネタをつき続ける。楽しかったな。
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AD 2009
FFシリーズを主軸とするゲームブックのケータイ化に参加、半年ほど監修を務める。ケータイのゲームだと本より融通が利くかと思ったら、作りにくいこととといったらない。
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AD 2010 夏
書き下ろしの新作「モービィ・リップからの脱出」上梓。
AD 2010 秋〜
GAME LINK誌で「等身大のゲーム」連載中。ゲームには、現実世界の職業や仕組みを素材にしたモノが少なからずある。
そういったゲームがどのくらい「らしく」仕上がっているのか、毎回しかるべき専門家を招き、用意したゲームをプレイして感想を伺ってみるというもの。ダメだしをくらう回などもあって、なかなかオモロく継続中。
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AD 2011 春
ロール&ロール誌で「ドナドナ鍋」おっ始める。
AD 2011 10月末
「虹河の大冒険」上梓。
AD 2012 年頭
首都圏中心の雑誌「散歩の達人」の1ページ記事のため、一週間でボードゲームを少数製作。
しかも読者プレゼントするので、気になるなら2/21を待て。
AD 2012 4月
iPhone iPad用グレイルクエスト「iグレイルクエスト」発売。
グラフィックやら、画面デザインやら、電子書籍用演出やら、成り行きであれこれ監修することになった。
だって楽しめるモノ出したいもーん。
AD 2012 7月
ロール&ロール誌で「ドナドナピザ」新登場。
AD 2012 8月〜
クトゥルフのゲームブックで七転八倒する。
AD 2013 1月
新作短編「タダ乗り師ホーボーの攻防」をロール&ロール誌に掲載。
……続く。